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先日は『エマニュエル・ルジェ ヴォーヌロマネ クロパラントゥ 2013』を高価買取致しました。

 

今や、ブルゴーニュで最も入手困難な畑のひとつ…。

ブルゴーニュの神、アンリ・ジャイエが開墾した遺作とも言える畑「ヴォーヌ・ロマネ クロ・パラントゥ」。

 

エマニュエル・ルジェはブルゴーニュの神として崇められた故アンリ・ジャイエの甥にあたり、ジャイエ亡き現在、その名声と畑の一部も引き継ぎました。

 

ジャイエ同様、ルジェのワインも一口飲んだ者を虜にすると言われており、畑や葡萄本来の味わいポテンシャルを表現するワイン作りは多くのファンを魅了し続けております。

 

それではクロ・パラントゥについて、少し掘り下げてお話致します。

 

クロ・パラントゥ

特級畑”リシュブール”の真上に位置する偉大なる1級畑”クロ・パラントゥ”は、アンリ・ジャイエの功績とともに伝説的な賞賛を獲得しています。

 

そもそも、クロ・パラントゥの歴史は古く 1827年の地図には、今と同じ場所にその名が記されていますが、当時は2級扱いの畑で今のように注目されるようなことはありませんでした。

 

1920年には、クロパラントゥは、カミュゼやフェヴレイなど4人のオーナーが分割して所有しているという記録がありますが、依然、人々から注目を集めるような特別な畑ではありませんでした。

その後も第二次大戦が終わるまで、フィロキセラにやられてワイン用葡萄は植えられなくなり、アーティーチョークなどの農作物を育てていました。

 

しかし、1950年、アンリ・ジャイエはクロ・パラントゥが備える潜在的なテロワールを見出し、オーナーたちから譲り受けながら自分の区画を拡大してきました。

1951年を皮切りに、20年の歳月をかけて 0.7ヘクタールの区画を自らのものとします。

そして、残りの約0.3ヘクタールをカミュゼ一族が所有するという現在のスタイルとなったのは1970年のことです。

 

現在、カミュゼ一族が標高の高い区画を、ジャイエの一族(エマニュエル・ルジェ)が、リシュブールに隣接する畑をそれぞれ所有しています。

諸説ありますが、アンリ・ジャイエは自らクロ・パラントゥの畑を所有しはじめた 1950年代から1987年までの間、実質的に全てのクロ・パラントゥの畑を管理していた、と言われており、それはメオ・カミュゼのラベルでだされるワインも1987年までそうだったと言われています。

1976年まで、アンリ・ジャイエは殆どのワインをネゴシアンに卸しており、Caves Dessilly や Alexis Lichine のワインのエチケットには ワイン製造者として アンリ・ジャイエ の名が記されています。

さらに、クロ・パラントゥについても、1978年ヴィテージまで、単体として世にリリースされることはなかったそうで、今思うとなんて勿体無い!と思ってしまいますが、当時は村名のヴォーヌ・ロマネ として販売されていたようです。

 

 

2006年のアンリ・ジャイエ氏の没後、アンリ・ジャイエのクロ・パラントゥの市場価値はロマネ・コンティを凌ぐほどであり、そういった意味でもこの畑がいかに偉大であるかが伝わってきます。

前述の通り、現在このクロ・パラントゥを所有するのは、メオ・カミュゼとその畑を継承したエマニュエル・ルジェのみ。一度は飲んでみたいワインランキングにもランクイン間違いなしです。