今から260年ほど前の1760年。フランスのブルボン=コンティ家のルイ・フランソワ王子が当時のクロ・ド・ベースの10倍ほどの高値でロマネコンティ(Romanée-conti)の畑を手に入れます。王子は宮廷の宴で振る舞うためにワインを消費したため1760年から約30年ほどはあまりは市場に出回ることはありませんでした。そのため、ロマネコンティ自体の希少性が高まります。しかし、1789年のフランス革命で畑は国に没収されてしまいました。
ロマネコンティは、ワイン単体の名前でもあると同時に畑の名前でもあります。つまり、ブルゴーニュ地方にあるヴォーヌロマネ村にあるピノ・ノワール種の畑の名前であります。
畑の広さはわずか1.8ヘクタールで日当たりのいい場所にあり、土壌は比較的石灰質で痩せています。地中のミネラル分等を吸収することができるためブドウ栽培において最適な条件が揃っているといえます。
ロマネ・コンティの生産者、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)は複数の畑を所有しており、どの畑からも卓越したワインを生産しています。ロマネコンティの生産本数は年間わずか6000本。品質、希少性ともにワイン界のトップに君臨することから高値で取引されています。因みに買取金額となると、高いもので1本100万円前後の価値が付くことがあります。