シャネルがパリの帽子店から出発したことはよく知られていることです。それは、1909年のこと。ココ・シャネル(Coco Chanel)(本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel))は、当時交際していたエティエンヌ・バルサンの援助を受け、パリ17区マルゼルブ大通りに、女性用の帽子専門店を開業しました。翌年にはパリ1区カンボン通りに「シャネル・モード」という帽子専門店をオープンしています。
1913年には高級リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティック『ガブリエル・シャネル』を開店。続いて1915年にはビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンさせるなど、シャネルはオートクチュールのデザイナーとして本格的な活動を始めました。
1915年、シャネルはついにファッション界の歴史を塗り替える、独自のモードを発表します。それは、ジャージー素材を使ったドレス。コルセットを用いた窮屈な女性服に疑問を感じていたシャネルは、ストレッチの効いたジャージ素材でドレスをつくるという離れ業をやってのけたのです。無駄のないデザインで低コスト、着心地がよく、働く女性向き・・・など、今までにない洋服は一躍パリで脚光を浴びました。
さらにシャネルは、第2次世界大戦後のパリに戻った翌年、ツイード素材のスーツや、当時喪服としてのイメージの強かった「黒」を取り入れた「リトル・ブラック・ドレス」などを発表し、ファッション界に次々と革命を起こします。中でもシャネル・モードの最高傑作とされる「リトル・ブラック・ドレス」は、「黒はモードな最先端の色で、着る人の個性を引き立てるシックな色」という位置付けを誕生させ、ファッション界の歴史を大きく変えました。日常からかけ離れたモードではなく、女性の生活スタイルに根ざしたモードを発表することで、上流階級の女性や働く女性達の支持をも得るようになったのです。
また、1921年には、今では誰もが知るシャネル史上初の香水「シャネル N°5(Chanel N°5)」を誕生させました。現在はバッグや洋服などの服飾品に加え、化粧品や香水、ジュエリー、時計などを発売しており、世界中の多くの人々に愛され続けています。